神宮通いでファンコミュニティに入る。古田敦也と宮本慎也の引退試合は現地観戦。

野球

日本ハムが北海道に移転し、東京ドームでの試合を減らしたころから、僕は少しずつ神宮球場に足を運ぶようになった。

古田さんが選手兼任監督になった2006〜7年ごろになると中学の同級生に観戦仲間ができ、本格的にヤクルトを応援するようになる。

その同級生は“プロ野球馴れ”しており、彼につられてベースボールマガジンカードを集めたり、サインのもらい方を教えてもらったりした。

思えば選手を「さん付け」で呼ばなければならないというファンとしての常識も彼から学んだ。彼とは神宮のクラブハウス前で出待ちをしたり、ファン感謝デーでフェンスの間から選手カードをうまいこと通してサインをもらったものだ。

古田さんの引退試合も現地で生観戦していた1人である。

神宮球場の外野席でも常連客と知り合いになり、席を譲ってもらったりした。やはり名物おじいさんがいて、その方は今も現役だ。ちなみにそこの常連客の人たちは僕が大学生になって一時期売り子バイトをした際にビールを買ってくれたりもしている。

 

しかし、高校受験を経て進学した後は自分自身が野球部でプレーするようになったため、予定が合わず、観戦する機会は減っていった。

 

観戦熱が再び芽生えたのは大学2〜3年のころ。

大学になってから知り合った友人数人で一緒に観戦したことがきっかけだった。

そこから再びファンクラブに入会し、外野席の別の場所に観戦仲間ができた。

その場所は同年代のファンも多く、オフシーズンには彼らを巻き込んで、みんなでヤクルトのユニフォームを着て、神宮外苑軟式野球場で野球をしたこともある。

2013〜14年は人生の中でも一番といっていいほどプロ野球観戦に行っていたと思う。同時にヤクルトは本当に弱かった。

特に2013年はバレンティンがシーズンホームラン記録を塗り替えた年でもあり、「最悪、バレンティンのホームランが観られればOK」という側面さえあった。

早々に試合が決まってしまうことも多く、半ばやけくそになって応援していた日もあったが、みんなで騒ぐのが楽しいから球場に足を運んでいた。誰と観るか、というのも観戦において非常に重要な要素だと気づかされた時期だったと思う。

2013年限りで現役を退いた宮本慎也選手の引退試合は現地観戦。僕がヤクルトを見始めためたころには既にベテランではあったが、現役バリバリの姿を観ているだけに引退する姿を見るのは寂しく、思わず涙がこぼれた。

ちなみに観戦試合数こそ減っていたが、2015年のリーグ優勝決定の試合にも現地に足を運んでいる。

 

一方でその頃の観戦仲間の1人からチケットがたまたま手に入ったということで誘われ、僕は人生で初めてハマスタにベイスターズの試合を観に行くことになる。